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函館周遊:函館山

函館山

向こう側に見えるのが函館山です。
あそこから、新政府軍が押し寄せて来たという・・・。
よく見ると、ホテルの上に虹が架かってるんですよ~。見えます? 市電十字街駅から坂を登って、ロープウェイに乗ると約3分で頂上。

函館山頂上

曇ってたんで暗いですが、写真中央右の突き出た辺が旧弁天台場、
奥左側辺が七重浜だと思います。
土方さんは、七重浜から上陸してきた新政府軍に応戦。
一度退かせた後、一本木関門で銃弾に倒れたと言われています。

護国神社新政府軍墓地

特に案内が無かったので、詳しいことがわかりませんでしたが、
ロープウェイ山麓駅付近の護国神社にある新政府軍墓地です。
奥左側の白い墓碑には「戊辰薩藩戦死者墓」、
右側には重なってますが、少し大きい碑が2つありまして、
奥の黒い碑には「故海軍二等機関兵武部義晴之霊」、
手前の碑には「明治戊辰己巳海軍戦死者弔碑」と書いてありました。
たくさんあるお墓は、備後・大野・弘前藩、御親兵の肩書きが多かった。
「戊辰」は1868年、「己巳」は1869年・明治2年の事です。

己巳役海軍戦死碑

こちらも新政府軍。「己巳役海軍戦死碑」と書いてあります。
偶然なのか、ちょうど頂上を挟んで碧血碑の反対側に位置します。
民家と小さい駐車場の間にひっそり佇んでいる碑です。
案内板によると、明治2年5月11日、榎本軍軍艦"蟠龍"に砲撃され、
大爆音と共に炎上、沈没した新政府軍軍艦"朝陽"副艦長夏秋又之助さん、
海軍戦死者73名の慰霊碑となっているようです。
碑石は護国神社にあるものと同じ石を使ってるんだとか。

『函館戦記』によれば、"朝暘"の撃沈を見た土方さんは、
「この機失すべからず。士官隊に令して速進せん。
 然れども、敗兵はにわかには用い難し。
 われ、この柵にありて、退く者を斬らん。子(君)は率いて戦え」

と、陸軍奉行添役の大野さんに大喝したそうです。
漢文読み下しなので、実際どう言ったのかはわかりませんが、
大野さんにとって、これが土方さんの最後の命令になりました。

己巳役海軍戦死碑は、明治2年に建てられたものと言われています。
函館山近辺の寺社では第二次世界大戦戦死者慰霊碑もよく見ました。
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