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榎本釜次郎(22)、福地源一郎(17)に吉原を案内す。

明治36年発行『櫻癡居士と市川團十郎』という本に載っている逸話。

多摩道場時代の近藤さんや伊庭さんと知り合いだった?福地さん。
明治になってからはジャーナリスト・劇作家として活躍。 -----

福地さんが江戸に初めて出てきたのは安政4年、17歳の頃。
17歳にして既にオランダ語・英語を習得していました。(ひい;)
その才を買われて、水野筑後守の江戸駿河台屋敷に居候。
書を習うために安積艮斎塾へ向かい、易学の講義を行います。
すると艮斎先生、「さすがに石橋先生の子だ」と感心し、

「福地が(江戸に)出て来たから遊びに連れて行ってやれ」

と言ったので、
榎本釜次郎さんたちが申し合わせて吉原へ連れて行った。

福地さんはこれが初めての女郎買いだったそうで。

翌朝、女郎に向かって丁寧に、
「昨晩はありがとうございました」と言ったらしい。
そしたら「アラこの人は馬鹿らしいよ」て言われたらしい。

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福地さんの筆下ろしは榎本さんが斡旋!!笑
榎本さん、22歳!!若いッ!!☆( ̄∀ ̄*/

安政4年春頃、どうやら榎本さんは総監の永井尚志さんらと共に、
長崎海軍伝習所から江戸の築地軍艦操練所に移ってたんですかね。
(↑長崎に残ったって話もあるのでこの辺微妙…いったん帰った?)
福地さんは長崎出身だから江戸に来る前から知り合いだったかも。

福地さん関連のエピソードはもひとつあります。
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COMMENTS

あるゆさん、こんにちは!

思わず読んでいて微笑んでしまいました。
とっても面白いエピソードですねっっ☆
福地さん、榎本さん達のおかげで吉原デビューとわ~!(笑)

しかし福地さんが長崎出身ということは
榎本さんとは長崎で知り合ったのかもしれませんねっ。
すると丸山デビューは逆に福地さんの案内・・・・・だったりして(汗)。

>はな。さん☆

こんにちわーvV

初めこそこんなに初々しかった福地さんですが、これを機にめっさ吉原通いが激しくなったそうです。榎本さんめ(笑)。水野筑後守さんちで用意されてた自分の蒲団のカバーを売り払って、中身の綿だけをかぶって寝ていたなんて話も。(目撃者:水野筑後守の奥さん)
福地ー!!!!笑笑

そうですねー!榎本さん、もしその時江戸に帰ってたとしても、また長崎に行ってたりしてますから、「榎本兄さん、長崎の遊廓は丸山ですぜ…へっへっへ」「なるほど、そりゃますます長崎に行くのが楽しみだぜ…へっへっへ」なんて会話が繰り広げられていたのかも…笑(誰だよ)。

今頃思い出しまして(汗)。またまたお邪魔します~っ。
確かミ水野筑州さんは安政元年の暮れに任期を終えて、長崎から江戸にお帰りになっているので、ひょっとして、福地さんの記憶違いで、福地さんが長崎奉行水野さんの関連で江戸に出てきたとしたら、安政四年より前かもしれないですね。
安政元年暮れ~二年ごろなら、榎本さんも長崎に行く前なので(蝦夷地探検から戻ってきている頃ですし)一緒に吉原に行けます☆(爆)
(そうなると丸山遊びは榎本さんの自己開拓ですが、なんか案内なんていらなさそう(汗))

でも水野さんて養父が借金まみれで、水野家はずっと内職したり金銭に苦労してきたのに、吉原通いで浪費している福地さんには意外にも甘い!?のが驚きです(笑)。

それにしても福地さんが通い詰めるほどはまるような、すばらしい吉原案内をしてしまったとは・・・。恐るべし、江戸っ子榎本釜次郎さんっ。

>はな。さんvV

おおー水野さんについての情報ありがとうございますッ!
今ネットでザッと調べたら、はな。さんの言うとおり、長崎奉行の任期は1854年(和暦安政元年の暮れは西暦1854年の初め)でしたネ!!
記事には書きこぼしていたんですが、福地さんは、水野さんが長崎から江戸に帰る際に一緒に付いて行ったので安政2年の間違いでほぼ合ってると思います。ほぉう( ̄∀ ̄*)。
1854年と安政2年が混ざっちゃったのかな。

…ん?……ちょっと待ってくださいよ、はな。さん…ということはですよ?…福地さんの初吉原は15歳ですよっ!!!( ̄口 ̄;おぉぉぉ!!!!中坊だ!思春期真っ盛りだ!!そして榎本さんは20歳。お前ェ~笑。

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【長崎海軍伝習所】について

長崎海軍伝習所長崎海軍伝習所(ながさきかいぐんでんしゅうじょ)は、安政2年(1855年)に江戸幕府が海軍士官養成のため長崎に設立した教育機関。幕臣や雄藩藩士から選抜して、オランダ人教師によって西洋技術・航海術・蘭学・諸科学などを学ばせた。安政2年(1855年)第1期生は
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