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安部井磐根さんは語る。

この人の談話は、『史談会速記録』第1輯に載っているようです。
史談会当時61歳だったそうなので、土方さんと会ったのは37歳の時ですか。
この人が会議室に入ってきた土方さんを見て、

色も青い方、躯体もまた大ならず、漆のような髪を長ごう振り乱してある。ざっと言えば一個の美男子と申すべき相貌に覚えました。

と評してくれたのは有名ですよねv栄えある第一回目の史談会でですよ!?
それでこんなことを言ってくれちゃってもう!(嬉)
この人の談話から、榎本さんの言動に注目してみました。
奥羽越列藩団結のために、総督を決めるということになり、
各藩の代表者達がいろいろ候補者を挙げたんだそうです。

榎本は慨然として曰く、「それだからいけない」と言うのでがす。「貴君方は今なお門閥によりて事を成さんと言うようでありますが、門閥何をか成さん。いやしくも三軍を指揮する総督を仰ぐにその器量なくば、やはりこれを設けざるの勝るにしかない結果になるであります。それではどうもご相談になりかねます」と言われてみれば、各藩また「それなら貴君のお見込みが承りたい」。榎本はややあって「どうも皆様のお見込みではご相談になりますまい」、「それではどうかお見込みを承りたい」と押されて、榎本再び言うには、「この総督の任に当たる人は私が同行いたした土方歳三をおいては他にあるべくは覚えませぬ」と言われました。そこで奥羽各藩「さらば、どうかその土方歳三に依頼したい」ということにたちまちなった。榎本が言わるるには、「各藩のご依頼とあることならば、そりゃ本人に申してみましょう」

どうですか、これ。読んでみてどうですか。
榎本さん、はなから各藩の意見聞く気ねーじゃん!!と思いません?
安部井さん達は、土方さんの存在すらよく知らないんですよ。
なのに「各藩のご依頼とあることならば」って、榎本さん!(笑)
史談会を見に行った依田学海さんの『学海日録』明治25年7月9日の欄に、

武揚うち笑い、「諸君はなお今日にあり門閥を言わるるは、時勢を知らざる者にあらずや。今日はこれ、人材を挙げて抜擢し、一分力によりてこれに委任すべきの日なり。何ぞその人を選みて、これを挙げざる」とありしかば、諸藩士等、呆然として言う事を知らず、皆口をそろえて、「しからば何人をもってこれに任ずべき」と言いしかば、武揚、「某(私)その人を知れり、されども諸君のなお門閥を論ぜらるる見識にては、言うとも用いたまうまじ」とありけるに、榎本殿の仰(甚だしい様子)、いかにもその道理ありと覚えて候。「何人にもあれ、その人あらば教えたまえ」と異口同音に申しければ、武揚容(形)を改め、「さらば某と同行してこの地に参りたる士、新徴組(新選組)の長たる土方歳三こそその人なれ」と言う。皆々大いに呆れしかど、武揚はさる人物なるに、この言あるは定めてその人なるべしとて、「さらば土方ぬしを挙げ給うべし」と答う。

史談会は7月11日に行われたらしいのに、
なぜか7月9日の日記に書いてあるのがちょっと謎です。
もしかしたら、史談会が行われたのが9日で、速記録を残したのが11日?
そこらへんよく分かりませんが、学海さんの日記によって、
史談会速記録ではわかりづらかった言葉のニュアンスがわかります。
榎本さんが土方さんを推薦したとき、実は皆呆れてたんだと!(笑)
やっぱり門閥主義だったんでしょうか。
新選組の長って紹介もしたみたいですね。
長・・・まあね。もうこの頃は副長じゃありませんでしたから。
そしてやっぱり榎本さんの誘導がかかってたらしい各藩の同意。
『学海日録』では、「美男子」な記述はありません。
実際に土方さんと会った依田さんにとっては当たり前なことか(笑)。
もうね、榎本さん的には土方さん以外に考えられなかったわけで。
この榎本さんの激しい支持があったからこそ、
土方さんも蝦夷地へ行く気になったのかも知れないですね。
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