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…昭和20年8月6日午前8時15分 広島…

8月6日はそうです。
土方歳三資料館で伊東成郎さんの講演会でした。
行かれた方のレポ、待ってます…。

て、もちろんそれだけじゃなくて。笑
広島に原爆が落とされた日でしたよね、今日は。
9日には長崎に。15日には終戦に。

NGOアント広島さんの活動に図々しくも(汗)同行させていただいて、
広島原爆被爆者のお一人・居森清子さんにお会いしてきました。
清子さん・公照さんご夫妻に、ブログに書いてもいいか聞いたところ、
快く承諾してくれました。ありがとうございます(≧口≦);

※以下、当時の話に入りますので、苦手な方はご注意下さい。

居森清子さんは当時11歳の小学校六年生。
空襲警報が解除されたので、友人と一緒に本川国民(小)学校に登校し、
1階の下足置き場に入った直後、回りが突然真っ暗になった。
それが原爆が落ちた瞬間だったそうです。

原子爆弾は通称「ピカドン」と呼ばれてます。
それはピカッと光ってドンッと落ちるからだそうですが、
居森さんのように爆心地から300m程の地点では何の光も音も無いとか。
むしろ光を見ていたら死んでるような状況だと思います。

空が雲に覆われちゃうから隣の友人もわからないぐらいの真っ暗で、
フラフラ友人と校舎外に出たら回りは火の海で建物も無くって、
職員室から出てきた先生2人と一緒に川へ逃げる事になったそうです。
その時、性別も分からない黒焦げの人がしがみつこうとしてきたので、
清子さんは気味が悪くなって避けて「誰?」と名前を聞いたら、
同級生の女の子だったことがわかったと。
先生がその子を運んで川の小舟に乗せたけど、そこで死んでしまった。
「先生の1人は耳から血を流していたのを記憶している」と仰ってました。
川へ潜ってジッとしていたら、そのうち黒い雨が降ってきたそうです。

先生がその後どうしたかわからないが、
友人と一緒に、黒焦げの死体や皮がベロンと垂れ下がっている人の中を、
ずっと必死の思いでウロウロしていたら、トラックに拾ってもらえた。
お世話してもらう家が決まって食事が出されたが何も食べられなかった。
一緒にいた友人は一週間ほどで急性放射能障害で死んでしまった。

清子さんの両親、弟さんも原爆でお亡くなりになったそうです。
集団疎開という考えもあったが、
「死ぬときはみんな一緒がいい」
という家族の考えで、結局疎開しなかったそうです。

清子さんは今でも放射能の後遺症に悩まされています。
けれども小中学校に原爆の悲惨さを伝えるため講演しに行っています。
NHKのドキュメント番組に出てたりもする方でした!!∑( ̄口 ̄;わぁ!
とっても気さくで明るい方でしたよ~v
戦後、被爆者と告白するのはかなり勇気がいることだったようで、
差別的な問題(結婚拒否されるとか)もあったみたいです。

何度も繰り返し手術をしなければいけないらしく、本当に大変そうでした。
以上、これで全てではないですが、居森清子さんの体験談でした。
相変わらず文章まとまってなくてスイマセン;;

『the mushroom club』 ¥2,100
 被爆者の証言を中心に作られた平和祈念DVDです。
 広島平和記念資料館で直接購入かアント広島さんで通販できるらしい。


広島平和記念資料館第2回企画展
【宮武甫・松本榮一写真展-被爆直後のヒロシマを撮る】

 平成18年3月15日(水)~9月28日(木)
 広島平和記念資料館東館地下にて※ネット上からも見られます。

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