そうだ京都行こっ:黒谷金戒光明寺

黒谷→くろだに、金戒→こんかい、と読むんだそうです。え、知ってる?

黒谷さん入口

雨の中行って来ましたよー。黒谷さん平安神宮の裏手にあります。
案内板を見逃さなければ門前まで来るのは心配いらないと思います。
問題は…会津藩殉難者墓地ですよ/笑。めっちゃ広いです、墓地。

そこで迷わない方法を教えます。

金戒光明寺

ここです。この場所、オオ~ッ!と思いますよね。登りたくなりますね。
ダメです登っちゃ。右折してください。
この写真の右側に「会津藩墓地参道→」て書いてある碑が建ってるんで、
その碑に従って本堂脇の道をどんどん登っていってください。
そうすれば会津藩殉難者墓地に辿り着くことができるはずです。

そんなわけで以下、お墓の写真入ります。苦手な人は回れ右。 * * * * * * * * * *

会津藩殉難者墓地に無事、到着することができました。
かれこれ2時間は迷ったような気がする…笑。階段登っちゃったから…。

会津藩殉難者墓地

会津藩墓地で土方さんに関係する人、それは。
(雨、夕方のため不気味さ7割増しな墓地写真/汗)

柴司さんのお墓

新選組のお手伝い?として来ていた会津藩士・柴司さんです。
柴司さんの悲劇は池田屋事件後の明保野亭御用改め時に起きます。
怪しい奴!と思って槍で突いた相手が土佐藩士だったんですね~
土佐藩と会津藩の仲が悪くなってはいけないと思った柴さんは切腹します。
介錯はお兄さんがやりました。年齢は21歳だったそうです。

柴さんの葬儀には土方さんも参列しました。
近藤さんは来れず、源さんや武田観柳斎さんとかが一緒にいました。

●柴さんのお兄さんの手紙より 現代語訳

この日(元治元年6月13日)、新選組の隊長近藤勇から香典100疋が送られ、(新選組?)一同からも同じように(香典を)送ってくれた。次の者5人、土方歳三、井上源三郎、武田観柳斎、河合耆三郎、浅野藤太郎が(葬儀に)やって来て、(柴司の)遺体を撫でて、みんな声を上げて悲しんでいた。
―――――中略―――――
その日の夜、葬送の時にも先程の5人は墓所まで送りに来てくれたので、(我々は?)みんな涙を流した。



はっきり意味のわからないとこがあってスイマセン/汗。
とりあえず土方さんが柴司さんの葬儀に参列したのは確か、かと。
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COMMENTS

あるゆさん
「黒谷」はどうしても「く~ろ~たあ~に~」と呼ぶ、米子、を思い出してしまう私(けものみち、好きだったの・・・・)
ここ、まだ行ったことないんですよ!柴司のお墓もあるんですね。今度京都に行ったら絶対に行きたい場所!です。
教えていただいてありがとうございました~。

>julesさん☆

お役に立てて嬉しいです(^∀^☆

広いですよ、ここ、ホントに。
墓地を越えたらまた墓地、そこを越えたらまた墓地でした/汗。
みつともはぐれたんですよー;;
このまま暗くなって遭難したら絶対気ぃ狂うッ!!( ̄口 ̄;|||
と思って超焦りました~/涙。

でも古くて時代を感じられるお寺なのでオススメですv

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