スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

近藤芳助『新撰組往事実戦譚書』

今日はもう流山特集と言うことではりきって行きたいと思います。オー☆
この史料は、高橋正意さんという方が、元新選組隊士・近藤芳助さんに、
当時の出来事を詳しく聞きたいと言ったので、その返事書だそうです。

たぶん流山諸説で一番信頼されてる史料じゃないかと思います。
これは続じゃない方の『新選組史料集』に収録されてます。

新選組史料集


+ + + + + + + + + +

でも芳助さん、斎藤さんや永倉さんと交流しつつ生き残ってたんですが、
寂しいことに新選組に入っていた事をすごく後悔しているらしいです。

以下の引用文は全て現代語訳。

新選組の事跡やその歴史は、世の中に少しも残らないようにすることが、私達の希望するところです。その理由は、たとえ少しばかりの活躍があったとしても、(新選組というのは)だいたいは大義を誤った野蛮人の集まりと言うしかないからです。


新選組隊士本人にこう言われちゃうと…寂しいですね。
もともと芳助さんは新選組と合わない人らしいので仕方ないですが。

元治元年の晩秋、京都に着いて隊中の様子を見て脱隊しようとしたが許されなかった。結局、死ななければ脱隊することはできないのだ。


+ + + + + + + + + + 

で、本題の流山事件についての記述。

近藤勇とその他の者達が包囲された後、総督府からの使者(有馬藤太)が来て、鎮撫隊長(近藤勇)は隊を解散させて、板橋に来るようにと言われた。このとき隊士達は、2,3名を除いて全て、歩兵を率いて野外練習のために1,2里(4km~8km)離れた山野にいたため、充分に応戦することができなかった。勇はすでに切腹する決心を固めて、(官軍に)しばらく時間をくれるよう頼んで、(本陣の)2階に昇って3,4名と相談した。土方は、「ここで切腹するのは無駄死にだ。運を天に任せて、板橋の総督府に出頭し、あくまで(我々は)鎮撫隊であることを主張して納得させるのが得策だろう」と言った。この案に賛成し、若輩1人(野村利三郎)、馬の口取り役(村上三郎)1人と共に、馬に乗って板橋へ出頭することに決まった。
―――――中略―――――
土方歳三は流山以後、単独行動をとり、勝海舟氏を訪ねて勇救出に力を尽くしたが叶わなかった。



ちなみに『新選組!』で有馬さんが練習場に来る場面がありましたよね。
それはたぶんこの史料をもとにしているんだと思います。

●東山道軍従軍兵執筆『官軍記』より(現代語訳)

その他に、称名院(光明院)にも兵が駐屯していて、その隊長(大久保)に案内させて調べあげたところ、賊兵は今日10時頃より官軍の斥候を見つけて、次第に兵器を捨てて離散していたので、捨て置かれた小銃250挺を奪って彦根隊から本陣へ送った。


なんか勢いで記事を書いてしまいました;と、とりあえずこんな感じで。
スポンサーサイト

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。