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丸毛利恒「近藤勇の伝」の裏付け

いやー…さっき書いた流山講演会のレポで紹介したこの史料、
先日紹介した『続新選組史料集』に収録されているそうじゃないですか/笑。
うわービビッたー;;あの、私まだこの本手に入れてないんで。
目次見た、とか書いたけど、あれアバウトなやつだったんだな…。

julesさんとこの記事で「近藤勇の伝」が紹介されてて、
伊東さんが配った資料よりもちょっと長く引用されてたので、
そこんとこのまた裏付け史料っぽいのも紹介します。
…て、なんか動揺して日本語がわかんなくなってきた…笑。

やっぱり『続新選組史料集』は買わなきゃなぁ。
わざわざ新選組の日に発売延ばしたことだけはあるってことすか。 * * * * * * * * * *

すいません、これ、julesさんとこからまんま引用です/汗。

●丸毛利恒「近藤勇の伝」より(現代語訳)

――馬を下り、(有馬藤太は)「近藤殿に用があるから、本営まで来ていただきたい」と歳三に言いました。歳三は勇の代わりに自分が出向こうとしましたが、勇はこれを頑として聞かず、藤太と共に本営に向かいました。


さっきの記事に続く文です。
伊東さんの配布ではここんとこまでは紹介されてませんでした。
これでビビッたんですよ…今まで「えーホントー?」てな話があったんで。

それはやっぱり小島家伝本である『両雄士伝』よりなんですが。

●小島家伝本『両雄士伝』より(現代語訳)

はじめ、(勇が)出頭して捕らわれようとした時、義豊(歳三)は一緒に行こうとした。昌宜(勇)は許可せず、「家来は忠義を全うするものだ。死に絶えてどうする」と言った。義豊は強く願った。昌宜は顔色を変えて、「お前はどうして程嬰、公孫杵臼の忠邪がわからないんだ」と言った。義豊はしばらく憮然としていたが、「わかった」と言った。それで止んだ。そこで榎本武揚達に話を持ちかけて、「慶喜公は天皇の命令により江戸城を明け渡し、水戸で処断を待っていると聞いた。事態は迫ってきている。どうにかうまく会津へ行って、今後の準備を整えろ」と言った。


原文がちょっと難しめの言葉遣いなので現代語訳が少し不安ですが/汗、
だいたいこんな内容です。めちゃくちゃ間違ってることはないと思う。

因みに近藤さんの言う「程嬰、公孫杵臼の忠邪」と言うのは中国の故事で、
二人の部下のうち、一人が犠牲となって、もう一人が使命を全うするの意。
「程嬰」、「公孫杵臼」は共に人物名です。詳しくはコチラ(PC)

またしても全く一緒の記述、というわけではないですが、
だからこそ「誰かから聞いた」可能性が強いような気がしますよ私は。
うーんすごいなー探せばあるんだなぁ史料って。疑う前に探せってか。
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COMMENTS

あるゆさん
丸毛利恒、記事には確かに「歳三代りて、之に赴かんとす」とあります。「一緒に」ではなく「代わって」なんですね~。
この丸毛、という人は後に新聞記者になっていますから、記事には多少の脚色はあるかもしれません。「旧幕府」は明治30年に創刊されましたが、勝海舟、大鳥圭介、榎本武揚らはこのときにまだ、生きていて、刊行を提案した、かつての幕臣戸川残花、はこれらの人たちに、許可をとったそうです。
歳三と勇のこの話の5巻5号は明治34年掲載なので、いい加減なことを書くことはできなかったと思います。
限りなく史実に近い、と思っていいかも、です。

>julesさんv

『両雄士伝』には、「義豊、与(とも)に共にせんと欲す」てあります~。完成は明治6年頃だそうですが、明治41年に史談会速記録で初めて発表されたそうです。でも検証が充分でない資料を参考したため、間違いもけっこうあるらしいことが説明に書かれてます/汗。

史実に近そうですね~v
こうやってどんどんいろんな事が明るみになってくるんですね♪

あるゆさん(ごめん、また、来ちゃった!)
私は続編以来、榎本武揚ファンですが(笑)、勇の気持ちに共感した榎本、歳三が死んだ時に「自分も行って戦う」と飛び出そうとした榎本、なんだか、ますます好きになりました。
それに、歳三が撃たれて倒れた後に、また立ち上がって、一声叫んだ、そしてついに斃れた、というのには、鳥肌が立ちました・・・・。なんて、言ったんでしょう???
それが書かれてないのが残念です。。。

>julesさん☆

ですよねですよね!榎本さんイイですよねvV(^ワ^*vV

……。
土方さん、なんて叫んだんでしょうね。
なんかもう…頑張りすぎですよね。…痛い。

1935年出版の尾佐竹猛『幕末維新の人物』には、

(箱館総攻撃の日、土方は)奮戦して水戸、筑前の官軍と戦って破り更に進んで肥前の軍に迫らんとする時に流丸が飛んで来て土方の胸を貫いたのであります。それで落馬し左の腕及び腸部に重傷を負ったのでありますが、その血を拭ひながら奮戦して遂に壮烈なる死を遂げたのであります。

て書いてあるんです…。
これ見つけた時は衝撃のあまり授業サボリました(…おい)。
でもこの著者の妄想かな、と思っちゃってて/笑。
もしかしたら「近藤勇の伝」を参考したのかもしれないですね。

遅レスすみませぬ。
丸毛君は「北洲新話」という、箱館戦争に関する本をまとめているので、そちらも参照するともう少し詳しい情報が出てくるかもしれません。あるゆ選手の目次によると、今回の「続」には北洲新話、は収録されていないみたいですね。
「旧幕府」は国会図書館に行かなくても、日野市立図書館にありましたー!今度複写できるか聞いてみます♪

>ままこっちさんv

きゃー!国会図書館で旧幕府見つけたんですねっ!
私も見たい見たいと思いながらもなかなか行けないので、羨ましいですッ(≧∀≦)

あ、あの!
丸毛さんの北洲新話、『箱館戦争史料集』の方に収録されてますよッ♪♪
ちょっと見直してみますねッ!!汗汗

>あるゆ選手
「箱館戦争史料集」も絶版、ですよねえ(確か)
欲しぃーーーーー!!と思うときは絶版。嗚呼(嗚咽)

これも日野の図書館で探そうかしらん。

>ままこっちさん♪

えっ…箱館戦争史料集って絶版なんですか…!?
図書館で見つけられることを祈ります;;

蝦夷共和国スキーとしては、『続箱館戦争史料集』なんてのも作って欲しいところですよね/笑。どうですか?新人物往来社さんv

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「近藤勇の伝」(「旧幕府」5巻5号 明治34年)

筆者の丸毛利恒は、元幕臣で、彰義隊の幹部として上野戦争で戦い、その後、箱館に渡航、明治二年に新政府軍に降伏しました。他史料に伝えられていない、貴重な歳三や、勇、の様子が書いてあります。● 歳三が有馬藤太に流山、で怒った様子{{{官軍が(近藤勇が、流山に潜伏
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