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石田村の土方歳三

まだ組!!ガイドブックが届きません。明日か?明日には届くのか??
『凍鉄の花』は買いましたよ。やっぱ絵が綺麗だぁー!!素敵だぁー!!
ただ今回は思いっきりフィクションなので、好き嫌いがわかれるかもなぁ。
そういや今夜の満月見ましたか。すげぇ濃ゆいですよ。ピザみたい(え)。
うちの地域の雲が濁ってるのか…?汗;そうだったらどうしよう…。
とか何とかダラダラ書いてる間に。

新選組のふるさと歴史館の館長を務める村瀬さんのブログに、
土方さんの奉公時代に関する記事がアップされてました。
このたび歴史館で初公開された資料、石田村宗門人別書上帳の事でした。
あのですね、歴史館の資料、別にHPに情報書いてもいいそうです/笑。
念のため歴史館に直接問い合わせたら、

「資料について、撮影・画像の無断転載はお断りしていますが、
 個人のHPでご自身の言葉で紹介する分には全く問題ありません」


との事でした~。
それでも気になって(ビビリ過ぎ)開館日の注意書きについて聞いたら、
「そんなのありました?」的なお答えが!!笑。
どうやら幻を見てしまったようです!! ̄▽ ̄あははん♪♪
てなわけで、さっそく記事にしまーす☆
気にして問い合わせしてくださった方々、ありがとうございましたっっ。 記事にするって言っても大した事ぁ書けないよ。
ただこんな資料があったんだよーへぇーって言う。

石田村宗門人別書上帳とは何ぞや。
現代で言うずばり戸籍です。なんとなく前から気になってはいたんですよ。
近藤さんの宗門人別書上帳は資料として何かと掲載されてるのに、
あれ?土方さんの村はそういうのなかったのかな、て。

歴史館HPで見つけた時、なんだ、あったんじゃん!!て思いました。
ちょっと前に日野宿本陣のガイドさんがね、気になる事言ってたんです。
「歳三は7年間ぐらい奉公に言ってて~」て。7年間??
でもそのガイドさん、つい土方さんの変名を「内藤剛志」て言っちゃってて、
(それ、俳優だからっ!!爆笑)と頭の中でツッコミまくってました/笑。
なので、7年間ていうのはてっきりそのガイドさんの勘違いだとばかり。

そしたら、この宗門人別書上帳によれば、9年間奉公に行ってたっつうから。
あ、ガイドさん、勘違いじゃなかったんだ、と。
7年と9年の差はありましたが/笑。

『聞きがき新選組』によれば、土方さんは11歳と17歳ん時に奉公に出て、
長引かずに行商がてら各道場を回って腕を磨いてたとかどーとか。
その間に許嫁も出来たとか女性問題起こしちゃったとかどーとか/笑。
この新資料を鵜呑みにすると、それらが全て否定されかねないんですヨ。
なにしろ14歳から23歳まで奉公に行ってる事になってるらしいんで。

しかーし。この人別帳には他にも面白い部分が。
土方さんが京都に行ってる時、新選組副長として活躍してる間、
なんと人別帳には土方さんが石田村にずっといる事になってるんです!!
えっ???それって…どーいう事???笑

そこで私達は考えました。

土方歳三双子説。

つまりですね、仮に土方歳蔵さんと土方歳三さんがいたとしてね?
一人は行商がてら女に手ぇ出したり道場蹴破ったりしてて(してません)、
もう一人は9年間ひたすらマジメに奉公に行っていると。
そして一人は試衛館に入門して京都に行って新選組副長として恐れられ、
またもう一人は石田村でごくごく平凡な毎日をおく…

そんな事あるわけないですね、はい、撤収!!

それに実はこの資料、まだ諸研究家さんの手が入っていない、との事なので、
もしかしたら全く違う見解が生まれたりするかも知れんのですよ。

あと、ちょっと寂しいところが一つ。
土方さんが京都滞在中の人別帳について、歴史館側の説明としては、
「歳三がいつでも石田村に帰ってこれるようにしていた」としています。
これはこれで、こうであって欲しいと願うばかりなんですが、
慶応4年以降になって突然、土方さんの名前が消えちゃうんだそうです。
ああ…勝てば官軍、負ければ賊軍ってやつですかっ涙。でも寂しい…泣。

…はぁ~いつにも増して脈絡のない文ですんません;;この辺で終わります。
新資料は他にもありましたよ。脇差とか、脇差とか…。
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COMMENTS

開示OKとな!

史実スキー仲間のあるゆさん。
私も村瀬さんのブログで記事を見つけて、ええーこんなの書いちゃっていいの?と思ったんですよ。注意書きには確かに「HPなんかで公開するのは、5月くらいまで待って!」って書いてあったし。
そうでしたか。石田村の史料、この辺までの開示はOKでしたか。
歳三双子説!!新説ですねっ!(笑)そういえば高幡金剛寺の記録だったか、「義諄さん天保5年に没」になっているものもあるらしく、歳さんが生まれた天保6年じゃない、じゃあ歳さんのお父さんって・・・!?という説もあったり、と歳さんの上洛までって謎が多いんですよね。
京都に行っている間は「帰って来いよ」、甲陽鎮撫隊以降は「縁なし」・・・歳さんは退路を断たざるを得なかったんですね。。(涙)

>ままこっちさんv

そうなんですよー!!
館長の村瀬さんもちゃんと開示許可してくれてるらしいですv

義諄さん天保5年没説があるんですか∑( ̄□ ̄;!
土方家過去帳では天保6年2月5日没なんですよねぇ??

そう言えば土方さんの誕生日って5月5日って事になってますけど、それも実はあやしいって聞きました(笑)。実際は「菖蒲が咲いた頃」ぐらいにしか伝わってないとかどうとか。しかも『子孫が語る土方歳三』に掲載されてる「歳三の幼少時代」の記事によると、土方さん、「天保7年の正月に生まれた」って事になってますよね;^_^笑。謎だ~っっ;

今回の宗門人別帳、調べればもっと何か分かりそうな気がするんですけどね~…来年5月に期待!?

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