スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戦争体験者との交流会2

さて。
前回も行った埼玉県平和資料館での交流会、今回も行って来ました。
今回の講演者は女性の方で、上江田千代さん。
「沖縄戦の体験」と題して約90分の講演を行ってくださいました。
上江田さんは本も出されているそうで、そちらの方が内容に詳しいそうです。
興味のある方はぜひお買い求め下さい(笑)。

またまた沖縄戦の予備知識が全く無いまま聞いた上に、
この記事も全く文献とか調べないで書こうと言う…(汗)すいません。
もうわからないとこはわからないまま書きますからねー。
いいですかー?(よくねぇだろ/笑)
しかもメモ見て思い出した順に書くので順番がごちゃごちゃしてますけど、
ホントに…勘弁したってください…(涙)。

はい、で、もうすぐ内容に入ります。
内容的にやっぱり戦争中ならではのショッキングな出来事や描写がありますから、
そういうの苦手な方は見るのやめてください。

* * * * * * * * * *


上江田さんは、今回だけでなくいろいろな所で講演されているらしくて、
すごく話し方がお上手でした。声もをはっきりしてて、分かりやすかったです。

1944年、当時14歳で師範学校に入学した上江田さんは、
1945年の空襲で避難生活が始まると負傷兵の看護役を頼まれました。
看護役と言っても、衛生兵がいるわけでもなし、薬があるわけでもなし、
ただただ食料と水を負傷して動けない兵隊さん達にあげる役だったそうです。
兵隊さん達は、最初水をもらって「ありがとう」と言ってくれてたそうですが、
だんだん言えなくなって、ついに死んでしまうと、
見張り?の兵士さんがその死体を濠の中から運び出して、
外にいくつも空いている艦砲射撃の穴の中に放り込んだらしい。

妻子持ちの兵隊さんが今度前線へ派遣されることになったらしく、
独身の兵隊さんに家族のことが心配だと話してるのを聞いたとか。

負傷者用の防空壕もかなり危ない状況になってきた頃、
隊長さんがやってきました。
「今までありがとう。ここはもう危ないから親元へ帰りなさい。」
≪生きて虜囚の辱めを受けず≫の言葉通り、
動けない負傷者達は、防空壕に手榴弾を投げ込まれて死んだそうです。
手榴弾もない防空壕では、そこの隊長さんが一人一人に青酸カリを飲ませたとか。
ただ、兵士はそれを既に覚悟している様子で、誰も抵抗する人はいなかったと。

上江田さん自身、軍国主義教育を猛烈に学んでいましたから、
これから逃げていく最中に捕虜になりそうになったとき死ねるように、
「私にも手榴弾をください!」と隊長さんに頼んだんだそうです。
隊長さんはさすがに渡すのを躊躇していたそうですが、
上江田さんが「捕虜になりたくない!」とあまりにもせがんだので、
ついに渡し、手榴弾の使い方も強いて教えてもらったそうです。
それをいざと言う時のため自分の救急箱に携帯していた上江田さん。

お父さんは軍に請うて上江田さんがいた防空壕付近で雑用をやったり、
防空壕に水を運んだりしていたそうです。
そこですぐ父母と共に南へ逃げたところ、海にも陸にも死体が転がり、
その腐臭はもう言葉では言い表せないほどだそうです。
(防空壕の中でも、膿と血とウジの匂いが混ざったすさまじいもの)

しかし南は安全だと言うから逃げたのに、南から北へ逃げてくる人がいて、
ちょうど中間で民衆が集まって、もうどこへ逃げればいいのかわからなくなり、
上江田さんはもうここまでだと思って救急箱の手榴弾を取り出そうとしたら、
いつのまにか無くなってしまっていたそうです。
母親に、「私の手榴弾が無い!」と訴えたところ、
「あなたがあんなものを持っていると、本当に死んでしまうと思ったから、
お父さんが捨てました」と言ったので、すごくショックだったそうです。

それからとりあえずまた逃げて、どこかの防空壕に入りました。
終戦のビラがアメリカ兵によって撒かれたけど、そんなもの誰も信じない。

『忘れもしない6月20日、父が防空壕の外の様子を見に行きました。
その父の後姿を私はずっと目で追っていて、母は父に背を向けていて。
パーン!という音がして、父が「ウッ」と言ってバタッと倒れました。
私は「お父さん!!」と叫びました。その時見えたのは、逃げる日本兵の姿でした。
父は即死だったからまだ良かった。』

この事件もあって、上江田さんはやはり日本兵に対して恨みを隠せないようでしたが、
交流会に参加していらっしゃった中に、当時沖縄に派遣されていた兵士の方も
数人いらっしゃって、
「当時の状況を改めて知って、たいへん申し訳ない思いでいっぱいです。
しかし、どうかわかってほしい。日本兵が皆そうではないということを」
というようなコトを言っていて、前回のインパール作戦の時も
村上さんが同じ事を言っていたので、言いたい事はすごいよくわかりました。
やっぱり悲しむべきは戦争自体でしょうね。

上江田さんのお兄さんも二人、特攻兵(予科練)として亡くなっています。
次男が戦争で死んで、父母は3男には戦争に行くなと止めたけれども、
どうしても言う事を聞かずに軍隊に入ってついに戦死してしまったそうです。
交流会には、903人を特攻兵として送り出したと言う元隊長さんも来てました。

* * * * * * * * * *

微妙にまだあるんですが、とりあえずこれだけ。長…(汗)。
私的に、戦争体験者の方から直に話が聞けるのはすごいコトだと思ってます。
村上さんは、「若い人達にこそ聞いてもらいたい」と言ってましたし、
これからも機会があればどんどん聞きに行きたいと思います。
スポンサーサイト

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。