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『谷口四郎兵衛日記』vol.2

会津レポはあともうちょっと残ってるんですが、
せっかく如来堂・阿弥陀寺と斎藤一さん関係が続いたので、

ここらで一発、斎藤一特集

なーんつって、私土方さんほど斎藤さんの事知らないので、
『谷口四郎兵衛日記』の斎藤さんについてだけ語ります(笑)。
(以下、段落分け部分は全て現代語訳。参考:『幕末史研究』No.27)

『谷口四郎兵衛日記』では、全て「山口次郎」と記される斎藤さん。
最初にその名前が出てくる日は慶応4年8月19日です。
知っている方はわかると思いますが…そう、母成戦直前です(汗!!)。

大鳥圭介が我が陣に来て、「諸方出陣についての相談をしたい」と言うので、一緒に山口次郎の陣所に行って話し合った。

(会津藩の)小森一勘斎が出陣の命令を告げに来た。新選組や第一分隊は、将軍山へ援軍として向かうようにとの事だった。

秋月が来て、「今まさに、土方をはじめとする我が隊は、仙台へ行く事を決めたのだが、会津侯の御命令とあれば仕方がない。将軍山で一度戦った後、(仙台への)出発の事については、(また)土方らと相談する」と言った。秋月は先発する事になり、兵達に今夜将軍山へ出陣する旨を告げると、仙台での合流を約束して猪苗代へ向かった。

仙台藩の塩松内蔵太が来て、「新選組や第一分隊は、共に仙台へ向かう事を約束した後に、今、このような出陣となってしまった」と言った。当然ながら(このままだと)仙台藩がだんだん切迫してくる事になるため、「(仙台へも)同時に出立してくれ」と言って聞かなかったので、山口次郎は(塩松と)面会するも、あれこれ話し合わずに将軍山で一戦した後に(仙台へは)出立する事にしようとした。

…斎藤さーん!!せっかく会ったんだから話そうよ!(笑)
でも、きっとめんどくさかったんだろーなー。
しかし塩松さんはひきさがりません。
だって藩が危ないんだからね。塩松さんも必死ですよね。

(山口は)「将軍山への援軍は当然であり、(仙台へ)すぐに行こうとしても、(援軍は)会津藩との約束なのだから、(すぐに行けないのは)仕方のない事」と言った。塩松は、「先に仙台へ行くと言う約束があったではないか」と言った。

…が、がんばれ、斎藤さん。

(山口は)ついに(塩松を)説得して、仙台へは後に行く事に決まった。
塩松は深く(仙台出兵の)約束を交わして、「(約束を)破った時は、君(仙台藩主のこと?)前にて死ぬべきである」と論じると、「秋月と共に先発する」と言って、すぐに秋月のところへ向かった。

はぁ~。どうにか塩松さんを説得できたようですね、斎藤さんは。
「約束を違えたら君前にて死ぬ」とは、何かのことわざなんですかね??
いまいちその部分がよくわからないんですよ。結構重要な気がするのに。

それで…・・まぁ…大敗するんです。母成峠で。
谷口さんの記述が、当たり前だけどリアルでさぁ。
誰がどこでどこを撃たれたとか。どこで何人死んだとか。

分隊を任されていた大島寅雄さんも負傷しちゃったようで、
雉子小屋ってとこで、今にも死にそうだったらしいんです。
そこで斎藤さんが中島登さんの銃を借りて発砲すると(なんで?!笑)、
大島さんは驚いて逃げ出したらしい…なんだこの話。
斎藤さんも土方さんに負けず劣らずスパルタ気味vな一面。

そして会津は籠城戦に入ってしまいましたから、
谷口さんが所属する旧幕府軍は各地を経て仙台へ到達します。
仙台だから、斎藤さんと口論した塩松さんがいろいろお世話してくれたり。

9月20日、脱走兵達を編制しなおして、乗船の準備。

桑名藩、松山藩、唐津藩の3藩は、土方歳三の配下となって「新選組」と成った。これは、もう今や隊名が果てようとしていたために、新たに隊名を建てたのだった。

本来の新選組は、将軍山での敗軍で戦死者が多く、山口次郎はじめ14人が残った。

塩川で大鳥圭介が(山口と)会った時、共に仙台へ行く事を勧めたが、
山口次郎は、
「我々は会津へ来て諸方の戦いに参加し、ついに今や仲間は多く戦死してしまった。わずかに14人残っているため、これを建て直そうと言う志はあるけれども、一度会津に来たからには、今まさに落城するのを見て志を捨て去る事は誠義ではないと思うわけである。もっとも、仙台藩の塩松内蔵太との約束で、将軍山で一戦した後には仙台へ行くはずだったが、このような事態となっては仕方がない。だから私は後の事は考えず、隊名と共にこの地で死のう」と言った。

しかしながら、敵軍が大勢いるのを見て、「これからが一番面白い」と言って、新選組隊長・山口次郎をはじめとして、伍長・志村武蔵、粂部正親、隊士・小幡三郎、清水寺吉、吉田俊太郎、池田七三郎、森尾六之助、荒井破魔雄、岡尾森権次郎、その他、敵陣に斬り込んだ。その後、生死不明である。

それゆえ、ここに隊名は絶たれた。だから土方は、仙台で生き残った隊士達を集めて、これにまた隊名を付けたのだ。

ちょっと意訳しちった。
この斎藤さんや土方さんの、「新選組」に対するラブっぷり。いいなぁ。
隊名と共に死のうとしていた斎藤さんですが、
土方さんは隊名を果てさせたくなかったんですね。
「勝手に果てさせるな俺の新選組だ!」ぐらいの勢いだったかも(笑)。

あー、あと今さらなんですが、私別に解読のプロじゃないんで、
なんか間違ってるとこがあるかも知んないです。(無責任!)
でも全く違うって事はないんじゃないかなー…と思ってる。

活字版が出ないかなー。
はっ!!今度の新選組史料集に入ってたらどうしよう!?
また赤っ恥さらしちまう可能性が!?
て、もう出版されてた方が赤っ恥だよな…。
もし活字版出版されてたら、誰か私に教えたってください…。
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