会津の旅:阿弥陀寺

(私ずっと「あみだでら」と思ってました。「あみだじ」なんですね…。)
阿弥陀寺は七日町駅を降りてすぐです。ホント目の前です。
これで迷ったりしたらキング・オブ・方向オンチです。

阿弥陀寺

阿弥陀寺の入口はこんな感じ。
慶長8年(1603)年から開山された伝統あるお寺。

左に見えるのが明治31年9月に建てられた鐘で、
右手奥に見えるのが明治3年に鶴ヶ城から移築したという「御三階」です。
密議や月見に使われる場所だったんだとか。
私達が行った時は閉まってましたが、中に萱野権兵衛の木像があるらしい。

慰霊碑前

阿弥陀寺に入った左側には戊辰戦争戦没者慰霊碑がどーんとあります。
斎藤一忌が行われてた時にはガードが置かれてました。
ここの塀に登って斎藤一忌を見ようとする人がいるからなんだそうです。
バチあたりですねー。そんなことやっちゃダメですよー。
斎藤さんも悲しみますよ、そんな事したら。

徳川葵

慰霊碑入口の門には…さすが会津。徳川葵がでーんと。

慰霊碑

中に入る事はできなさそうだったので、門の間から撮りました。
3つある柱にはびっしり会津藩士達の名前が書いてあります。
およそ1300人だそうです。…お、多いよ…(涙)。

藤田家の墓

これが斎藤一…もとい藤田五郎さんのお墓です。

斎藤一忌の際にどなたかが言ってらしたのですが、
斎藤さんはこの阿弥陀寺に多額の寄付をしていたそうですね。
戊辰戦争で死んだ仲間達が葬られている事、
さらに西南戦争で死んだ会津藩士達68名もここに合祀された事からして、
斎藤さんがこの寺に深く心を傾けていたのは間違い無いでしょう。
やっぱ永倉さんの気持ちと同じような気がしますね。

どこかの研究書に載ってたんですが、板橋にある近藤さんと土方さんのお墓、
あの建立に斎藤さんも携わっていた可能性があるようです。
というか、ほぼ間違いなく携わってたんじゃないかと私は思うんですけど。
あんまりその話聞かないんでね。違うのかなぁ。
建立関係の文書に「斎藤」の署名が書かれているそうです。
でも時期的に本来なら「藤田」なはずなんですけど、
それだったら永倉さんも「杉村」のはずでしょ?
でも永倉さんは「永倉」って書いてんの。
だったら斎藤さんも「斎藤」でいいんじゃない??みたいな。

…携わってて欲しいなぁ。何か決定的な史料ってないんだろうか。

あ、そう言えばあんまりお墓等の写真を好まれない方もいるようですね。
バシバシ載せててすいません(汗)。
以前お墓の写真を撮らずに帰って、お寺の写真だけ祖母に見せたら、
「なんでお墓を撮ってあげないの。かわいそうに。」って言われたので、
それからなんとなく撮るようにしてます。
もちろんお寺側が禁止してたら撮りませんけど。
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