会津の旅:滝沢本陣再び

ちょっと雨模様の時間に滝沢本陣に行って来ました。
早い時間だったので大丈夫かな、と思ってたら大丈夫でした。

滝沢本陣入口

ここ私大好きなんですよね。一番当時の雰囲気が感じられる気がする。

慶応4年8月22日、松平容保はここで白虎隊に出陣命令を出したんだとか。

明治14年10月に有栖川宮熾仁親王もここに来たらしいですよ。
熾仁親王と言えば、和宮さんと結婚する予定だったのに破棄されちゃって、
戊辰戦争勃発時には新政府軍側の総大将にもなった人です。
ふーん…。そんな人もここに来たんですねぇ。

古本

これが前来た時から気になっていた古本なんです。よ、読みたい…。
そーとー古いです。なんせ延宝年間(1673年~1680年)に建てられたから。

裏門

これはー…なんと言えばいいんでしょう。裏門??しぶいです。

以前も言いましたが、ここはなんてったって疵痕が凄いんですよ。
弾痕、砲痕、刀痕、そこらじゅうにあります。
ホント、一度行ってみてください。ゾクゾクしますから(笑)。
どーも飯盛山の陰にあるせいか人気が無いみたいなんですよねー。
まあその方がゆっくり見られて私は嬉しいんですが。

あ、それから。本陣駐車場入口付近にあるこの触書。

触書

最初は何か戊辰戦争と関係あるのかなーと思ったら特に無いみたい。
指名手配の触書です。これはその複製版でしょうけど。
捕まえた人には褒美として銀5枚と苗字帯刀が許される!!すげぇ!!
苗字帯刀ってやっぱり凄い魅力的なものだったんでしょうね。
例え百姓がその犯人を捕まえたとしても苗字帯刀を許すってんだから、
当時帯刀していた百姓も案外いたのかも知れません。
土方さん家には、百姓の家なのに刀掛けがあったって言うし。

そういや「百姓」って差別用語だって聞いた。知らなかった~。

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COMMENTS

すごいマニアックですなあ

あるゆさん、田島に行ったり滝沢本陣行ったり、かなり本格的に「史実の旅」なさったのですねえ。この滝沢本陣は、主人の兄嫁の本家ですのよ。ホホホ・・・。
それにしても、会津藩士たちの生真面目さ(藩祖・保科正之の教えに幕末まで忠誠を尽くそうとしたこと)に、融通の利かない面を見たけど、明治維新後の海外メディアでは「本当のサムライ」と称えられたらしいです。

>mike-boyさん

ええ!?滝沢本陣とも繋がりがあるんですか!!縁がありますねぇ!!いや、あの、朝早くから(8:00)本陣を管理していらっしゃる方をお呼び出ししてしまって申し訳なかったです(^_^;)。

海外メディアで会津の評判が良かったとなると、やっぱり明治政府も、戦争に勝ったとは言え、なかなかやりづらかったでしょうね…民衆の支持もあまり良くなく、しかも借金だらけで(汗)。そう言えば、会津まつりの行列の中に外国から来た方もよく見かけましたよ。会津は海外観光客も結構多そうですよね。地方新聞には秋月悌次郎などの会津武士達についての評が載っていました。そちらはちょっと批判的でしたが。

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