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戦争体験者との交流会1

今年8月15日に埼玉平和資料館で行われた交流会に行って来ました。
交流会と言うかほぼ講演会で、質問があれば答える感じです。

「内容は後日」って言っといてあやうく忘れるところでした。(^_^;)
もうちょっとインパール作戦を勉強してからと思ったけど、
なかなか進まないので、とりあえず備忘録風味で書きます。
勘違いしてるとこもあるかもしんないけど、許してください。

+ + + + + + + + + +

話してくれたのは、村上八十八さんと言う方でした。
昭和19年にビルマで行われたインパール作戦に出陣してた方です。

インパール作戦というのが基本的にどういう作戦なのか、
まだ勉強してなくってわからないんですが、
確か…軍需物資を届けるついでに敵陣を破壊する、みたい作戦だったような…。
ん?ビルマ奪還が目的だったんだかそんなんだったか。
とにかくも当時の日本としてかなり無謀な作戦だったみたいです。

その作戦を「ぜひ私にやらせてください!」と東条英機に直談判した人がいて、
インパール作戦がついに決行される事になったと。

…なんかお偉いさんはさっさとビルマを撤退しちゃってたそうで。
それを後で知って、八十八さんは仲間と共に酷く憤りを感じているとか。
自分達の直属の隊長さん達は、当然戦地へ赴いて戦死してしまったり、
撤退命令を出したからと言って罷免されたりしたそうです。

罷免だったらまだいいじゃん、て。そんな甘く無いのが戦時下。
罷免=軍事裁判=死刑ぐらいの勢いらしいですね。
講演会終わってからじいちゃんに聞いたらそうだっつーから。
………………あぁ…だから泣いてたんだ、八十八さん、と思った。

どう進んでどう戦ってどう撤退して、という詳しい話もあったんですが、
さすがにこれはあやふやに説明できないので割愛。
ちなみに敵はイギリス軍とイギリス支配下のインド軍です。

こないだディスカバリーチャンネルでちょうどイギリス兵から見た
インパール作戦をチラッと放送してんのを見たけど、
やっぱりイギリスの方が勝ち組だからまだ状況はいいね。
日本は軍需物資も食糧も途絶えてる上に惨敗続きだから、
ものすごい悲惨な状況が続いたようです。
特にビルマはマラリアや赤痢に苦しんだとか。
これはイギリス軍も同じなんですけど、食糧はまだあるから。

イギリス軍側には連合国軍からの落下傘物資が届けられてて、
たまーにそれが風に流れて日本軍側にもやってくると。
それを取っては仲間で分け合っていたらしいです。
イギリス軍の食糧はいいものばっかりだったらしい(笑)
ディスカバリーによると、慰労パーティーなんかもしてたって。

かたや日本軍の食糧事情はと言うと、が・ん・え・ん。
岩塩ですよ。あと山とかで採れるモミとか。あと、軍馬?(ひい!)
本土自体危ないのに落下傘部隊なんて来れるわけもなく。
でも岩塩て腹持ちがいいらしいよ。
フラフラしてても岩塩なめるとまだ立ち直れるらしい。
モミ探し隊と白兵隊に分かれて戦ってたそうです。
軍馬を食べるのはしょうがないと思うかもしれないけど、
軍人にとって軍馬はものすごく大事な仲間だそうで、
八十八さんは結局最後まで食べなかったそうです。
馬の屍肉を食べると何故か死ぬ人もいたようで。病気だったから?
あと象もね、軍用ビルマ象部隊を食べようとしてた人もいたとか。

とにかくマラリアが酷くて、仲間がどんどん死んでくと。
もう後何日で死ぬ、というのがわかってくるそうです。
ハエがたかり、ウジがわいて…。そりゃもう酷い状態で。
実は戦闘中に死んだ人よりも行軍中に死んだ人の方が断然多いんですね。
軍馬もどんどん死んでくから、荷物を自分達で運ばなきゃならないし。

八十八さんが所属していた烈兵団山砲兵三一聯隊第三中隊は、
148名いたところ、最終的に生き残ったのは22名だそうです。うち、戦死者12名。
砲兵隊は白兵戦をしないので戦死者は他より少なかったとか。
軍馬は1228頭、全滅。全て日本の馬だったそうです。

この講演会、カメラ回ってたのできっと資料館で保存してんだろうと思う。
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COMMENTS

こんにちは。
戦は補給作戦こそがその勝敗の大きな鍵になる、というのは定石で、
実際太平洋戦争ではその補給ルートを徹底的に叩かれ、そのリカバリーがきかないうちに作戦続行したがために大量の餓死者を出したわけです。
その点からすると、やはり2000名からの兵をなだめすかしながら、補給もままならないルートを行軍していった大鳥先生の采配は、注目すべき手腕であったと思います。
「南柯紀行」にはとにかく疲れた、腹減った、とばかり書いてあって、とにかく大変だったようですが、それでもやり遂げてきたのはスゴイ、と。
最近そんな大鳥先生に夢中♪もちろん歳さんもですけどねっ!

タイムリー!

ちょうど今、『谷口四郎兵衛日記』をネタに、大鳥さんと土方さんの記事を書こうとしてたらままこっちさんのコメントが!(笑)すいません、私もしかしたら大鳥さんを少しからかう発言をするかもわかりません。でもそれは愛ゆえだと!愛ゆえだと!!そう思っていただければ幸いデッス!(>_<)

戦争体験者の話は男性からは普段なかなか聞き出せないのです。家族にも話さないくらい壮絶だったから。私は母から戦時中の生活はたくさん聞きました。父はニューギニアに行かされて奇跡的に帰還できたのですが、マラリアにも罹ったそうです。もともと無口な父でしたが、そこでの話はほとんど聞いたことなく、あの世に行ってしまいました。無理やり聞き出しておくんだった。
あるゆさん、貴重なお話聞くことできましたね。

後遺症

mike-boyさんのコメントで思い出したのですが、交流会に参加していた人の中に、父親がビルマに派遣された事があると言う人がいました。その人の父親は、戦後の生活中、急に酷い寒気を感じて震えがガタガタと止まらなくなり、どんなに身体を暖めても震えが止まらず、でもしばらくすると治まる、と言う症状が時々あったそうなんです。
症状の原因が何かよくわからないまま父親は他界し、後になって遺品から戦時中の「マラリア」診断書が出てきたそうで、その時初めてあの症状はマラリアだったのか、と思ったとか。そこでこの交流会で八十八さんに質問したところ、八十八さんは「それはマラリアの症状だ」と答えていました。専門的な人はいなかったので、マラリアに本当に後遺症があるのかどうかわかりませんが、そういう事もあるのだな、と。ちょっとここに追記しておきます。

そうだったんですか

あるゆさん、ありがとう。マラリアの後遺症というものがあるなんて、初めて知りました。父もきっとそんなことがあったのかも知れません。我慢強い人でしたから。それにしても、過去を「知る」ことって大切ですね。
遠い歴史から近代の歴史、そして現在の事件事故もね。

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